ワンちゃんの影響

小さい頃から自宅にワンちゃんがいたという方は幼いながらも、面倒見が良く、優しい子に育つ傾向があるという。
私は生まれた頃から犬を二匹飼っており、一人っ子ながら兄弟がいるような感覚を持っていた。
もちろん犬と猫は弟と妹だ。
二匹を連れて散歩に出かけることがルーティンワークの一つであったが、よそのワンちゃんと出会うと妙に吠えられる機会があった。
うちの子達は怯えた様子で応酬はしなかったが、あまりその犬と散歩中に出会いたくなかったので、散歩コースを変更したりと幼いながら対応策をとっていたものだった。
そしてある日ふと気がついた。
わけもなく吠えてくる犬は必ず一匹である、ということだ。
だが、当時はそこまで不思議に思わなかった。
最近見た犬に関するテレビで、犬はもともと狼のように群れで生活をするのが常で、一匹だけで育ってしまうと、自分が犬だということを認識できないということを知った。
吠える理由は、相手の犬を見て訳がわからない生物が目の前にいる恐怖心で吠えているとのことであった。
そういった一匹犬は鏡を見て自分の姿に対しても同じように吠えるそうだ。
怖いものに対しては逃げるか攻撃をするのか二択しか選択肢が無く、たまたま私がであった犬は後者に該当していたのだ。
この理論は人間にも当てはまることなのではないだろうか。
一人っ子でずっとひとりきりで育った子はケンカをしたり、集団行動に適応できなかったり、兄弟を持つ子供よりもやや不安定なところがある。
冒頭に申した通り私は一人っ子である。
しかし割と集団行動は得意だった。
今になってみると、私の精神面に大きく影響しているのは、生まれた頃から一緒だった、犬達なのではないだろうか。
彼らを弟や妹のように世話をし、時には傷つけられながらも共に生活をしているうちに、心に平穏をもたらしてくれたような気がする。
現在はもう亡くなってしまったが、あの優しい毛むくじゃらの弟妹達に大切なものをもらった、そんなことがふと思い出さられるテレビ番組だった。

私は歳を取った黒犬に甘えることにしている。

ああ、我家の黒犬もすっかり年をとってしまった。
御年は当年でもって19歳。
犬種は柴犬であるが、相当に大きい。重量は優に20キロを超える。
若い頃はおそろしく元気であった。
リードから離れたよその大型犬が私に噛みかかってきたとき、うちの黒犬は横から相手の喉元に喰らいついて捻り倒したことがある。
そういうことがあってから、その気性の激しさも含めて、「暴れ犬よ、吠え犬よ、噛み犬よ」と私は黒犬を優遇してきた。
しかし、今では往年の元気の良さも見る影もない。
ふらふらと立ってよろよろ歩くだけだ。
周囲の人たちの話によると、「この年齢になっても、自力で歩けるというだけでも大したものだ」ということになるらしいのだけれども。
もはや、うちの黒犬がかつてのような番犬としての役割を果たせなくなったであろうことは確かだ。
最近、夜になると、何がなくても、うちの黒犬が、わうん、わうん、とよく吠える。
口が悪く情の薄い家人たちは、「この犬もついにボケた。うるさいうるさいうるさい。甘えてワガママばかり言う」と泣きわめく。
黒犬がボケた、と私は思っていない。
彼はきっと覚えているのだ。
元気よく吠えると、私が喜んだことを。
きっと黒犬は甘えたいのではない。
逆だ。
甘えてほしいのだ。
こちらからワガママを言ってほしいのだ。
昔のように、有能なできる犬として頼りにしてほしいのだ。
だから、私は黒犬に対しても、できるだけワガママを言うことにしている。
すやすや眠っている黒犬の頭の下に自分の腕をさしいれて、無理やり腕枕で寝させたりする。
黒犬は「この飼い主め、いい加減にしろよ」という表情を浮かべながら、私のワガママを受け入れてくれる。
誰からもワガママを言ってもらえなくなったら、甘えるだけのろくでなしと決めつけられたら、黒犬もさびしかろう。
私は歳を取った黒犬に甘えることにしている。

 

 

 

噛まれても苦手になりませんでした

 

私自身は基本的に猫派ですが、犬も大好きです。子どもの頃、自宅では猫を飼っていたので、近所の友達の家で飼っていた犬とよく遊んでいました。友達と一緒に散歩に連れていったり、水やドッグフードをやったりと世話の真似事をしたのをよく覚えています。警戒心の強い犬だったので、ものすごく懐いてくれていたというわけではなかったのですが、牙を?かれたことはありませんでした。ところがその犬に、左腕をガブリと噛まれたことがあります。ちょうど友達がその場を離れ、私と犬だけになった時でした。頭を撫でようと手を伸ばしたのですが、タイミングの悪いことに、犬がドッグフードを食べていた最中だったのです。食事の邪魔をするつもりは全くなかったものの、犬からすれば邪魔そのもの。食べ物を奪われると思ったら、誰だって怒りますよね。犬歯が突き刺さり、振りほどこうとしても簡単には抜けませんでした。ありがたいことに犬の方がすぐに口を開けてくれ(単に早く食事の続きをしたかっただけかもしれませんが)、噛み痕から多少の出血があったものの大事には至らずに済みました。噛まれても仕方のない事をしてしまったという自覚があったので、申し訳ないような気まずいような気持ちになり、このことは友達にも家族にも言えませんでした。幸い、友達のご家庭ではきちんと狂犬病の予防注射を施してくれていたこともあって病院に行くほどの傷でもなく、家に帰って消毒をした程度できれいに治りました。動物好きの祖母からは常々「どんなにかわいくても所詮、動物は畜生だから何をするかわからない、気をつけなさい」と注意されていたので、反省しかありませんでした。子ども心に小さな恐怖体験ではありましたが、そのせいで犬を恐れたり嫌いになったりせずに済み、我ながら良かったと思っています。小さい犬も大きい犬も今でも大好きです。

その日私は運命の出会いをしてしまった

私は現在2匹の犬(トイプードル)を飼っています。その犬と私は、ある日のペットショップで運命の出会いをしました。子犬ばかりが人気だったそのペットショップで、その犬はもう7か月になっていました。ショーケースにも入れられず、雑に床に繋がれていたその犬はとても寂しそうでした。
私がペットショップに行ったきっかけは、そこが当時小学二年生だった娘の大好きな場所だったからだ。何度も何度もそのペットショップに足を運んでいたはずなのに、その日私は運命の出会いをしてしまったのだ。
その犬は私の目をじっと見つめていた。尻尾を振るわけでもなくその場にただ座り、少し寂しそうにみえた。
なぜかその犬を見ると、なんで元気がないのか、具合が悪いのかと心配になった。私はその犬のそばに座り、手を差し伸べてみた。すると、なんとその犬は何のためらいもなく、私の膝の上にチョコンと乗ったのだった。とてもびっくりしたと同時にものすごい愛着を覚えた。当然犬など飼うつもりなどなかった私は、娘とその店を出た。
でも私の気持ちが落ち着かなかった。帰ってからも夜寝るまで、何も手に着かないくらいその犬のことを考えていた。今何を考えているのかな?今寂しい気持ちじゃないかな?私の事覚えているかな?私を探していないかな?・・その気持ちは次の日まで続き、やはりまたそのペットショップへと足を運んでしまった。娘が、「あの犬ママに飼ってほしそうだった」「私を飼ってって言ってるよ」なんて言っていたが、私も同じことを考えていた。その犬と出会った瞬間のあの何とも言えない切なく愛おしい気持ちがたまらなかった。結局その犬と初めて出会った次の日に、その犬を購入してしまった。その犬が現在飼っている2匹のうちの1匹で、その犬モコの子どもが、もう1匹の犬茶々だ。